火の中、寺の中。

きゅーせんのブログ。日常的なことから旅行/撮影記録まで色々。

光善寺御炎上

Twitterをフォローしてもらっている人はいつものようにタイムラインで見かける「光善寺御炎上」。みんなそれとなく光善寺を燃やしているが、なんで燃えているのか、そもそも光善寺とは何なのか、疑問に思った人も多いだろう。

 

sasamatsu.hatenablog.jp

以前笹松しいたけ氏のブログでこういう記事で僕が出演していたのでいい加減「光善寺御炎上」の由来を書こうと思った。このQ氏というのは私であり、この記事で言いたいことの半分くらいは書かれているのでこちらも参照の上、ここでは具体的な御炎上の由来を書く。

 

f:id:qsen0912:20161018021519j:plain

まず光善寺とは京阪電気鉄道京阪本線にある「光善寺駅」を指す。その光善寺駅が私の実家の最寄り駅なのだ。

 

光善寺御炎上のはじまりは時を遡ることちょうど2年前の2014年10月19日(日)。東京都民として生活中の私は「京阪電車ファミリーレールフェア2014」が開催されるため、実家のある大阪へ帰省していた。私は同イベントに参加後、当時行楽期のみの設定であった快速特急「洛楽」に乗車しようと出町柳に向かっていた。

 

f:id:qsen0912:20161018015730j:plain

通常時に使われる8000系特急車

 

そこで事件は起きた。洛楽に使用される8000系特急車のうちの1本が故障したのだ。このダイヤは8000系は10本中8運用設定されている。ちょうどこの時期に8000系が1本入場していて、予備車が1本ある状態であった。しかしその予備1編成はファミリーレールフェアの展示に使用されていて代わりの8000系特急車が用意できなかったのだ。

故障した8000系は入庫、そして「特急車がご用意できませんでした」状態に。そして代わりの車両として用意したのがこちらだ。

 

f:id:qsen0912:20161018015602j:plain

2014/10/19 A1701A 快速特急淀屋橋行き 6005編成

 

私は何も知らずに出町柳へ洛楽乗車に向けて移動中であった。祇園四条駅につく頃Twitterを開くと「6000系が洛楽代走」の文字が。慌てて三条で降りると快速特急淀屋橋行きで「黄色または緑の乗車位置」と3扉で案内する放送が流れてきた。そして本当に6000系が洛楽を代走してやってきたのだ。三条の定番撮影ポイントは僕しかいない。停車中は手が震えながらも何度もシャッターを切った。

10月後半ということもあり、走行写真を撮るには暗かった。そのため七条~京橋ノンストップということもあり、まともに撮影ができるのが三条と京橋しかなかったのだ。その京橋は代走を狙う撮り鉄もいたらしいが、被られたという。

つまり洛楽代走を見事に大勝利へ収めたのは自分だけ。いわゆる他の京阪撮り鉄から見れば「癪」なのである。これを見た南半球在住(当時)のN氏に

「敵さあ…光善寺、いんだけど、焼いてかない?」

の発言(原文ママ)により、その他京阪ファン各位からも火の矢が放たれるようになった。

 

このような経緯を持って光善寺は今日も燃やされ続けて2年経った。なお実際に家が火事になったり、実際に燃えるようなことは起きていないが、「光善寺燃やす」という言葉が生まれ、「光善寺の近くに住んでるきゅーせんを燃やす」という意味で用いられる。

 

そんなこんなで今日も恐らく燃やされるんだろう。このブログのタイトルもこの記事を書いている地点では「火の中、寺の中。」でこれは光善寺を燃やされ続けた結果ピンときてしまったのだ。誰が言い出したのか、「#光善寺御炎上ブログを読んだ」ってハッシュタグもある。

 

そんなこんなで光善寺御炎上のまとめといこう。

光善寺を燃やすのは程々にね!

放火発言による損害は一切の責任を持てないので、自己責任を持って光善寺御炎上ライフを楽しもう。